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広島税理士のひとりごと『平成30年大雨災害その後』

2022/09/08 [THU]

実家のある坂町が平成30年7月6日に大雨災害を受けてから、

この夏で4回目の慰霊祭が執り行われました。

 

坂町だけで小屋浦地区を中心に17名の死者・行方不明者がでました。

 

今回も前年同様に新型コロナウィルスの感染状況から

小規模で開催されましたのは少し残念でした。

 

町のいたるところに砂防ダムが建設され、

それぞれ完成が近くなっています。

 

思い起こせば、今から約100年前の明治40年に発生した大雨災害は、

7月15日に、海田から天応の間に甚大な被害を及ぼし,

3つの村で177人の死亡が記録されております。

 

わたしの記憶では、小学校のときに,

この明治40年の大災害について、

授業や遠足の時に繰り返し説明を受けておりました。

 

当時はこの時の被災者が伝承者として多く地域に生存していて,

学校や寺にこられ,当時の災害の恐ろしさを伝承していました。

 

伝承者は土石流のことを「鉄砲水(てっぽうみず)」と呼んでいました。

 

今から考えると,この鉄砲水という表現は土石流の恐ろしさを

リアルにあらわしていると思います。

 

この鉄砲水の大災害を機に、

天地川の上流に「石」をくみ上げたダムが完成し、

地域住民が石のダムの建設作業に協力したことも伝わります。

 

これで、災害が来ても大丈夫だと。

今回、災害の規模とダムの強度が事前に想定されなかったのは残念なことでした。

 

平成30年水害で倒壊する前の砂防ダム

 

以前のダムは憩いの場として遠足や花見に多く利用されていました。

(貯水池で泳いだこともありました、、、)

 

現在の新しい砂防ダム

 

真新しい砂防ダムは頑丈に造られているので、これで安心です。

 

坂町災害碑と30年災害時の土石流とともにながされた岩の一部

 

死者・行方不明者17名,住宅の全半壊798戸という大災害をもたらした

西日本豪雨から4年が経ちました。

 

写真にあるような巨石が何千・何万と鉄砲のように押し寄せて、

人や家を奪っていったことを後世に伝えていく必要があります。

 

亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

 

広島総合税理士法人 岡本倫明